No.12 「南水北調」の「調」には「移す」という意味がある。

 黄土高原にとどまらず、北京をはじめ中国の北方は水不足である。そこで水が
豊富な長江水系などから北方へ水を引く計画があり、これを「南水北調」と言う
。東線、中線、西線の3ルートがあり、そのうち西線はチベット東南部の河川と
長江水系の金沙江や大渡河などをつなぎ黄河上流に水を供給するものである。こ
れにより
20003800億mの水が黄河に流入し、北方の水不足問題が解消するだ
けでなく、長江水系からは洪水期に移すだけなので、長江の水患も根治できると
される。

 黄河の森緑化ネットワークが支援する蘭州周辺では、黄河の水をたくさん使っ
て植えた木に灌水している。「南の水を北へ移す」ことによって予期しない問題
が出ないことを祈りながら、早い工事の完成が待たれる。

No.13 黄河の水は季節で色が変わる。

蘭州は黄河がはじめて通る大都会である。ここの黄河の水面は季節で色が変わ
る。黄河流域に降る雨は6〜9月に集中し、この期間がいわば雨季になる。逆に

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月〜3月の冬春が乾季になる。乾季には侵食も起こりにくく、土砂流入も少な
い。したがって黄河は本来の姿をとりもどし、水面は青味がかかってくる
(写真
10)。旅行者の報告文などでは「澄んでいる」という表現も見かける。

しかし、雨の多い季節になれば茶褐色に濁った「黄」河に戻る(写真11)。
と言うことは、やはり侵食を防ぎ、土砂の流入を阻止すれば黄河は青河になるの
である。蘭州はこの転換の起点であると捉えたい。

だがことは簡単でない。もう一つの脅威、水質汚染が拡大している。

写真6.黄帝お手植えのコノテガシワ
写真7.櫛の歯状に侵食を受ける(東勝)
写真8.おにぎり山のように侵食を受ける(蘭州)
写真9.原地形が分からないほどに侵食を受ける(東勝)
写真10.青味がかかった11月末の黄河(蘭州)
写真11.茶褐色に濁る10月はじめの黄河(蘭州)

No.3 黄河は中国第2の大河であるが、流量は松花江に次いで4番目である。

 黄河の全長は5,464キロある。日本列島が北から南まで3500キロほどだから日本
列島のおよそ
1.6倍の長さがある。内蒙古自治区、吉林省、黒龍江省を流れる松花
江の全長は
2,308キロで黄河の半分以下である。流域面積も黄河より3割ほど狭い。
だが、流量は黄河より多い。黄河は間違いなく大河であるが、そのわりに流れて
いる水は少ないと言える。流域に降る雨の量が少ないのが一因だろう。

No.4 黄河はバイクで飛び越せるほどの川幅しかないところもある。

 黄河中流の中でも下流は陝西省と山西省の境界となって流れる。その流れの中
に「中国旅遊勝地四十佳」の一つである「壺口の滝」がある。写真5は壷口の滝
のすぐ下流の風景である。川幅はせいぜい
20mほどにしか見えない。うそかまこ
とか、バイクで跳び越す競技が行われるとかも聞く。川幅が狭くなるだけ流れは
速いが、ここでは大河のイメージは一時消える。

写真1.包頭の近くを流れる黄河

写真2.黄河の水と水道水

☆黄河:青海省の瑪多に源を発し、四川省、甘粛省、寧夏回族自治区、
内蒙古自治区、陝西省、山西省、河南省、山東省を流れ、渤海に注ぐ.

☆黄土高原:黄河中流域に広がる標高8002000mの高原で、西北から
風で運ばれた黄土が数
10mから200mの厚さに堆積している.

No.1 黄河の水は水道水と見分けがつかない。

 黄河と言うと、まずたいていの人は何か黄色に濁った大河の流れを連想される
だろう。写真1は内蒙古自治区の都市、包頭(パオトー)の近くを流れる黄河で
ある。川幅も広く、ゆったり流れ、黄色というよりは茶褐色に濁っているが、こ
の風景は我々の想像する黄河そのものである。だが、「濁った」黄河の水は水道
水と見分けがつかないのである。

写真2は、黄河の水を採取し、一日ほど静かに置いて、その上澄みを取り出し
、水道水と比べたものである。確かに黄河の水と水道水は見分けがつかない。ほ
とんどの川がそうであるように、もともと黄河も澄んだ水の流れなのである。

写真5.壷口の滝のすぐ下流の黄河

     (左が陝西省、右が山西省)

No.2 黄河のダム−龍羊峡ダムの水面は青い。

 黄河上流の中でも下流に位置するところに龍羊峡ダムがある。ちょっとした観光
地になっており、ダム堤体の中を見学できる。4基のタービンがあり発電が主目的
のアーチ型ダムである。そのダムへの取り付け道路の途中にダム湖を見渡せる展望
台がある。そこから見えるダム湖の水面は青い。

断面が深く切れ込んだU字形をして、ダムから黄河が流れ下っている。周辺は岩
だらけの広大な荒れ地が広がる。U字の上しか見えないのだが、確かに黄河の流れ
は、龍がのたうつように見えないこともない。その流れのかなたにわずかに水面が
見えた(写真3、4)。きれいな青色をしている。黄河は青河なのである。黄河は
このあと黄土高原を通るが、その間に「黄土」が混ざり、「黄」河になるのである

 ちなみに、上田 信著の「森と緑の中国史」(岩波書店)には、以前は単に「河」
と呼ばれていた黄河が、前漢の初頭頃にこの一字の「河」から「黄河」になった、
とある。

点線で囲まれたところが黄土高原

No.5 人生いろいろ、黄土高原の面積もいろいろ。

「黄土高原と聞いて何をイメージする?」と大学生に聞いてみた。即座に「砂
漠」と返事が返ってきた。砂漠はともかく、黄土高原に荒れ地が多いことは確か
である。この黄土高原の広さはいったいどれくらいあるのだろうか。

54km(阿部治平著、黄色い大地、青木書店、1993年)

63km孟慶枚編、黄土高原水土保持、黄河水利出版社、1996年)

20万〜63km(鄒年根ほか編、黄土高原造林学、中国林業出版社、1997年)

40万km余り(関克著、黄土高原断想、中国林業1999年1月号)

62.38km(傳伯傑著、黄土丘陵溝壑区土地利用結構と生態過程、商務印書館、
      2002年)
一口に黄土高原と言っても文献によりずいぶん広さが異なる。

だいたい東は太行山、西は日月山、南は秦嶺まであたりとするようだが、北を陰
山までとすれば
63km、万里の長城あたりまでとすれば4054kmとなるよ
うだ。筆者は上掲の「黄土高原造林学」がいろいろ紹介したあとで結論している
国科学院黄土高原総合科学考察隊報告(
36万km)に若干プラスした38万km
をよく引用している。しかし、ちゃんと理解したうえで引用しているわけではない
。いずれにせよこれだと黄土高原は日本国土とほぼ同じ広さとなる。


No.6 黄土高原に降る雨は日本の1/5弱〜1/2弱しかない。しかし降雨強度
    は大きい。

 雨の降る量は場所によって異なる。例えば鹿児島の南にある屋久島は年4500
7500mmの雨が降る。同じ日本でも神戸は1300mmほどである。中国も海南島のよ
1600mm以上降るところもあれば、トルファンのように20mmに満たないところ
もある。国全体としてみると、日本の年平均降水量が
1700mmほどあるのに対し、
中国の年平均降水量は
630mmほどとなる。

 黄土高原では年200700mmの雨が降る。基本的に黄土高原は雨が少なく乾燥し
た世界である。しかし乾燥地では一度に降る雨の量がしばしば多い。降るときはど
っと降るのである。普段は雨が降らないから植物が育ちにくい。そこへどっと降る
ものだから地表を雨が勢いよく流れ、表土を削り取る。土壌浸食が起こるのである
。年間雨量は少ないが、こうして黄土が黄河へ流入する。

No.7 黄河の水が途中で消えることがあった。

 近年、黄河流域に降る雨の量がさらに少なくなったという話をよく聞く。そのせ
いかどうか、水源の青海省瑪多では
4077の大小の湖のうち1000余りが干上がったと
言う(中国林業
2000年1月号)。加えて上中流域で増えた取水が、下流に流れる水
量の減少に拍車をかけた。

 ついに1972年に「断流」が起こった。河口まで河水が流れず、途中で消えてしま
ったのである。
1997年には226日にわたって河口から最長700キロ上流まで断流が
みられたと言う。最近では流量を調節し、何とか断流はなくなっているようだ。

No.8 かつて黄土高原にダチョウが走っていた。

 黄土高原に雨が少ないと言っても植物が育たないという量ではない。西周の時代
には森林率が
53%あったとされる。ダチョウの卵の化石が発見されたりもしている
。かつては樹林や草原が広がり、黄土高原の多くが緑で覆われていたのである。

開墾、戦乱などが植被を退化させ、今では森林率が6%までになってしまった。
荒れ地化(砂漠化)したのである。こうなると、育とうとする植物を劣化した土地
と大きい降雨強度がくじいてしまう。植物が育つ基盤も消え、強雨が植物の定着を
はばんでしまう。こうして不毛の大地が広がった。

 ちなみに、遠山正瑛氏が力を注いだ黄土高原の北に続く内蒙古自治区達拉特(ダ
ラタ)旗の恩格貝(おんかくばい)では、緑化の進展とともにダチョウ飼育の試み
が進んでいる。

No.9 かつて黄土高原に少なからずきれいな河水の流れがあった。

 「渭分明と言う成語があり、よく使われるようだ。「清濁・善悪の区別が
明らかなこと」と言う意味がある。黄土高原を流れる河と渭河が西安の東北方で
合流する。どちらがどうか分からないが、昔は流れの色が異なり二つの河川をはっ
きり区別できた。このことが
渭分明の由来である。少なくともどちらかは濁
っていなかったと思われる。
現在はまったく同じように濁っており、区別すること
ができない。

 陝西省北部にはもう一つの有名な河流、延河がある。昔この河は清水と呼ばれて
いた。筆者はこの河を二度見る機会があったが、いずれも混濁した流れであり、清
水ではなかった。

 もう一つ陝西省北部には「清流」と言う名の町がある。しかし、ここも濁った小
さな河があるだけである。

三つの例をあげたが、黄土高原ではかつて清水と呼ばれる河が少なからずあった
という(前掲、関克)。そうだとすれば、やはり荒れ地化が水の色を変えたと言え
る。

No.10 黄土高原に「富士」リンゴの大産地がある。

 西安から延安へ行く途中に「富士」品種を栽培しているリンゴの大産地がある。
黄土地帯はマンガン、カリなどの肥料分を含んでいるので、適量の水があれば農
耕の適地となるようだ(アンダーソン著・松崎寿和訳、黄土地帯、学生社)。この
地の年間降水量は
600mmほどあり、これが適量の水になるのか、とにかく黄土高原
のすべてが不毛の土地というわけではない。この近くにはヒノキ科のコノテガシワ
の大木も生育している(写真6)。

 黄土高原では、このように比較的土地の生産力が高いところもあるが、深刻な水
土流失を起こす土地が
22km広がるとされる(胡建忠編、黄土高原重点水土流失
区生態経済型高木樹種の環境適応性、黄河水利出版社、
2000年)。No.5で述べたよ
うに、黄土高原の面積
38万km説をとると、黄土高原の2/3ほどが黄河を濁らせ
る元凶的な土地となる。こうした土地の管理をどのように行うかが一つの大きな課
題である。

 黄土の特徴に起因するやっかいな問題もある。黄土の地層は垂直に通る隙間が多
く、水を容易に浸透させる。表面流よりも浸透流が多く、岩床に達して下部がゆる
み、縦に崩れる。そのため垂直的な断崖絶壁ができやすい。平地でも地下の塩類が
溶けて空洞ができ、ときどき陥没が起きる(上掲アンダーソンと阿部)。黄土高原
は、油断すると容易に壊れる脆弱な土地の広がりなのである。

−「トレビアの泉」的−

黄河と黄土高原

               高知大学教授 徳岡正三(無断転載を禁ず)
No.11 黄土高原から流れ出る土砂は東京ドーム812個分もある。しかし
   長江の方が黄河より荒れている。

 たまに降る強い雨が黄土高原から黄土を剥ぎ取り、黄河へ流し込む。ひどいと
ころでは年間・
kmあたり2万トンの黄土が剥ぎ取られる。こうして河水1m
あたり
35キロの土砂が含まれ、年間16億トンの土砂が下流に流れ去る。おおざっ
ぱに推定すると東京ドーム
812個分にもなる(精力的に緑化活動を展開する京都の
澤井敏郎氏は関西空港3個分と計算されている)。

 黄土高原ができたころの地形は、アンパンを敷き詰めたように、大きくなだら
かな起伏のある平原状であったとされる。そこに溝状の侵食が起こり、尾根と深
い谷が並ぶ櫛の歯状になったり(写真7)、おにぎり山のようになったりした
(写真8)。写真9などはアンパンの外側全部がかじり取られたようなものだろ
う。

 しかし、長江(揚子江)から流れ出る土砂は黄河の1.5倍の年間24億トンもあ
る。長江流域もしっかりとした水土流失対策を立てねばならない。

写真4.同じ写真3の一部を拡大
写真3.龍羊峡ダムから下流の黄河を見る